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管理人室

お 断 り

ここは管理人のプライベートルームです。
ここに書かれていることは「さっぽろお多福連」の公式見解ではありません。


掲示板を見ていても八千代連さんとはもうずっと前から交流させて頂いているような気がしますが、はじめてお会いしたのは2000年の夏でした。
お多福連創設10周年に当たって管理人が知っている範囲で八千代連さんと姉妹連になれた経緯をここに残して置きたいと思います

 

第一章 出会い

2000年(平成12年)の夏、旭川市で全国のお祭りを集めた大規模なイベント(※)が3日間開催されました。
お多福連にも2日目、3日目と2日間の出番がありましたが、管理人は仕事の都合で2日間とも不参加のつもりでした。
ところが徳島から参加する連が管理人の出身地である小松島市から来ると聞き、急遽やり繰りをして3日目だけ参加す
る事にしました。
当日、図々しく八千代連さんの楽屋を訪ねてみましたが、八千代連さんは連日ハードなスケジュールで動いていたので、
とてもゆっくりお話しをするような雰囲気ではありませんでした。阿波踊り部門として一緒に動いていたので多少の連
員さん同士の交流があったかも知れませんが、その程度のことで、それ以上のことはありませんでした。

本来なら八千代連さんとはこれっきりだったはずなのですが、この時が運命の出会いとなりました。

(※)地域伝統芸能全国フェスティバル(出演団体数=286団体、出演者数=14,183名)

 

 

第二章 再会への布石

管理人は普段非常に地味な和楽器に関係する仕事に従事しています。ただ、ひとつだけ道内の他の同業者と違うことを
していす。
それは
「遠TONE音」というプロのグループのオフィシャルスタッフとして全国各地へ同行していることです。いわゆ
る全国規模の仕事をしています。(単にあっちこっちに行っていると云うだけの事ですが)
2001年6月に「遠TONE音」を強力に応援して頂いている中井貴恵さんと全国規模のイベントに共演する事になりまし
た。弟の中井貴一さんがCMに出演されているある企業の全国主要都市で開催される大イベントでした。(東京地区の
場合「横浜アリーナ」で2日間)
各都市の開催の間が2日〜5日空いているため、その都度札幌から出て行き札幌に帰るという莫大な航空運賃がかかる
贅沢な仕事でした。(航空券は通常料金、各空港はタクシーで送迎、ホテルはタレントさんと同格の部屋)
博多、横浜(2日間)、名古屋、神戸(2日間)というスケジュールで動いていましたが、名古屋と神戸の間が2日間
しかなく札幌へ帰ってもまたすぐ出ないといけないという効率の悪いスケジュールでした。そこで名古屋から実家のあ
る徳島に中日本航空が飛んでいることもあり、30時間程度の滞在ですが六年ぶりに帰郷出来るよう貴恵さんにお願いし
て航空券を変更して頂きました。この時、四国は初めてという同じスタッフの音響さんも同行することになりました。

この名古屋、神戸という順番。その間の空き日が2日間。この事がなければ八千代連さんと姉妹連関係になることは無
かったはずです。

無理を聞いてくださった中井貴恵さんに感謝いたします。

 

 

 博多の屋台で
 (この日お多福は山鼻祭典区の山車に乗っていた)

 左端が貴恵さん




第三章 再会

名古屋空港から最終便の小型プロペラ機に乗り徳島空港に19時頃到着しました。同行した音響さんがお寺好き(若いの
に)ということで一番札所の霊山寺に寄り道したため小松島(実家)には20時30分頃に到着したと思います。
車から降りると近くの公園から阿波踊りの鳴り物が聞こえていました。ふたつの連が練習していたようで鳴り物がダブ
って聞こえていました。近くから聞こえる方はあまり上手とは言えないお囃子でした。
遅い夕食を終えてから外に涼みに行ったら、聞こえてくる鳴り物が変わっていました。近くから聞こえていた鳴り物の
連は練習が終わったようで、遠くの方から上手な鳴り物が聞こえていました。
それは聞き覚えのある鳴り物でした。もしかしてと思い、のぞきに行ったのですが暗闇なのでよく見えませんでした。
そこでそばまで近付いた時、「どしたん?何しよん?」と急に声をかけられました。それは、八千代連顧問の吉本さん
でした。事情を説明すると、丁度練習も終わりだったので音響さんも含め三人で飲みに行くことにしました。
行った先は初めてお多福連が徳島遠征に行った年に歓迎会を開いて頂いた「めいげつ」でした。正直その時に吉本さん
以外どなたが居たか、またどんな話をしたか説明できるほどは覚えていません。ただ酔っぱらって楽しかった事だけは
確かです。

後でお聞きしたことですが、その時期の練習は一日おきので場所もその都度変わっていたそうです。たまたま実家に帰
った日が練習日で、たまたまその日の練習場所が実家の近く公園(しおかぜ公園)だったのです。

 お多福にとって大恩人の吉本さん

第四章 模索

大イベントが終わり札幌に帰ってから奥山前連長に徳島でのことを報告しました。
いろいろ奥山前連長と話している内に、今だから言いますが、札幌に「札幌八千代連」を創ろうかという構想が浮かび
上がりました。
吉本さんにお出ししたお礼状にもはっきり内容は覚えていませんがそのような趣旨をお伝えする文章を付け加えました。
もしかして誰か「札幌八千代連」構想を聞いた人もいるかも知れませんが、幻の「札幌八千代連」構想はしばらく真剣
に考えた時期がありました。(でも、これはこれで楽しい一時でした。)

第五章 再々会

2001年という年は徳島の当たり年で、11月にも日本舞踊(音羽流)の仕事で徳島へ行くことになりました。
徳島の現場は選抜阿波おどり会場の徳島文化センターでした。リハーサル1日、本番2日の3日間の仕事でした。初日
だけ打合せがあったので徳島市内のホテルに泊まり、後は実家から文セン(徳島の人はこう呼ぶ)に通いました。
確か本番初日の夜だったと思います。実家に帰ってから22時過ぎに「めいげつ」に顔を出してみました。多少期待して
いましたが八千代連の方はいらっしゃいませんでした。店の人が顔を覚えていてくれたようでしばらく世間話をしてい
ると八千代連の方がバラバラに集まって来て、最後は吉本さんもお見えになりました。こちらで飲みましょうと奥の座
敷に誘われました。吉本さんはこの日はゴルフでかなりお疲れのところを無理をされて出てこられたようです。
(後でわかりましたが、店の方が連絡を取って短時間の間に招集して頂いたそうです。)

この章のタイトルを「再々会」としましたが、お多福連の連員は9月に「再会」をしています。
この年は八千代連さんが初めて岩見沢の百餅まつりに招聘された年でした。八千代連さんが来道される
ことを知った時点で岩見沢の関係者にお多福連として協力を申し出ましたが、当時は「鳴り物」の認識
が薄かったためか受け入れて頂けませんでした。そこでお多福連有志は岩見沢へ見学に行き一年ぶりに
八千代連さんと再会しました。

話は、「めいげつ」の奥座敷に戻って、
実は、と、吉本さんが切り出されました。
岩見沢で八千代連を結成させてくれないかと打診が来ているとのことでした。
先にお多福連の方から同じ内容の手紙を受け取っているので、八千代連さんとしてどうするか結論が出せないままにな
っているようでした。吉本さんのお考えは岩見沢の結成は許可して、札幌はお多福連として交流が出来る方法があるの
ではないかとおっしゃいました。阿波踊りを通じて徳島と北海道が交流出来ることは素晴らしいことで八千代連として
も真剣に対処していきたいとのお言葉を頂き、札幌へ帰ってから奥山前連長にその旨報告しました。

第六章 結果

札幌に帰って八千代連さんからお多福連に提示された案が、姉妹連関係でした。
今でこそお互いに顔なじみですが、当時得体の知れないお多福連に対して姉妹連にという話を八千代連さんの中でまと
めるには大変なご苦労があったと思います。(その事をお多福連はいつまでも忘れないで欲しいです。)
奥山前連長から姉妹連になるに当たっての規約書を見せられた時は、正直、不安でした。でも結果は、案ずるより産む
がやすし、今のところ八千代連さんの名前を汚すことはしていないと思いますので。

こうしてトントン拍子に八千代連さんと姉妹連関係を結ぶことが出来ましたが、岩見沢の八千代連にはお多福連より格
下の友好連関係といった苦渋のご配慮をされていることも忘れてもらいたくないです。
お多福連は岩見沢の八千代連とも友好関係を保ち、徳島の八千代連さんを核として理想的な協力体制になっていると思
います。今後もこの協力体制がより強固なものになり本物の阿波踊りを道内に広めていくことが出来ればと願います。

お多福連結成10周年に当たりこの事を書き留めました。

                                             2004.09.17 記